池ノ谷薬草園を訪ねる



クチナシ(山梔子)
:実を用います。実は落ちてほと             んど残っていませんでした。

茗荷村行
 1月18日(日)、滋賀と京都の県境に位置し、比叡山から大文字山(如意ヶ嶽)にのびる尾根の途中にある、池ノ谷薬草園を訪ねました。
 比叡山ドライブウェイの料金所から比叡平の団地を抜け、道標に誘導されながら車で数分走ったところにあり、京都側の斜面に約600種の薬草が植えられています。
 時代祭りの行列で見る「白川女」の白川は源をここに発します。
薬草園のはずれに「白川の源流を見に行コーナー」の道標があります。白川はここから北白川へ蛇行して下り、銀閣寺前を通って吉田山山麓をひっそりと流れ、岡崎の動物園で疏水と合流します。白川女は、北白川一帯から、京の街へ花の行商に下りて行った女性なのです。
 いったん疏水と合流した白川は、平安神宮の大鳥居辺りで疏水本流と別れ、古川町商店街の裏手から知恩院前を通り、祇園の歓楽街を流れて末吉町から鴨川に注ぎます。 
茗荷村行
 薬草園に着いたのは9時半。まだ誰も来ていません。大きな日本犬がいて、近づいても賢そうに吠えません。駐車場脇のポリバケツの水は底まで凍っています。
 園内を回ってみましたが、草本はほとんどしおれて原形をとどめていません。花木も枝だけでまだ真冬の景色です。
 それでもモクレンの枝先を見上げると、銀色のつぼみを膨らませて春の到来を告げています。漢方では辛夷(シンイ)といって、鼻づまりの治療に使われます。
 秋に赤い実をつけたビナンカズラが残っていました。チョウセンゴミシの仲間で、京都薬科大学名誉教授、山原條二氏によると、かつてはこれで力士のビン付け油をとったそうです。チョウセンゴミシは漢方では、セキドメのほか、肝炎や心臓病の治療にも使います。
 テンダイウヤク も青々とした葉っぱが残っていました。秦の始皇帝が不老不死の薬草を求めて遣わしたという「徐福伝説」に出てくる薬草として知られています。腹痛や生理痛に用います。
 よく似た葉脈を持つニッケイも葉っぱが青いままです。十全大補丸や金匱腎気丸(八味地黄丸)に含まれ、冷えを改善する要薬です。



モクレン(辛夷)
:枝先につぼみが膨らん           でいました。蕾を用いま           す。



ビナンカズラ(五味子)
:秋についた実がまだ残っていました。実を用います。
茗荷村行
 「オーイ手エ貸してくれるかア」の声で駐車場に上がってみると、H氏と若Hさん。タダで見物させてもらう代わりに、少しばかりの(ホントにキモチだけのつもり)お手伝いはと、小さなスコップを持ってきていたが、あろうことか、裏山の杉の間伐材を林道へ搬出するという。
 裏山に上がると、直径20センチ前後の杉が、急斜面に無数に切り倒されて、中には朽ちかけているものもある。それらをチェーンソーでH氏が3メートル前後に切って行く。私と若H氏はそれらを肩に担ぎ林道に下ろす。
下草はほとんど枯れているが,笹やイバラが行く手を阻む。
 丸太を担ぐと、朽ちかけた杉の皮と土が、襟首からバラバラとオナカに入る。一旦腰で止まるがほとんどが下半身に転がり落ちる。トランクスで良かったと心底思う。ヨイショと相方が担ぎ上げるときに、飛び出た枝が肩に突き刺さる。相方と歩調をあわせないと坂道を担いで降りるのは存外疲れる。直線距離で100メートルほどだが1〜2本担いで降りると息が切れる。
 それでも弱気は吐けない。両H氏は一見して60〜70代である。
「 どうせすぐ休むやろ」と思っていたら、「今度アッチの斜面イコカア」とか言っている。
茗荷村行
 結局昼過ぎまで山仕事をして、暖房のよく効いた部屋で、安寿さんの手作りのぜんざいやお菓子をご馳走になりながら、先輩の話を聞いていると、眠たくなってきたので帰ることにする。
 帰り、朝見かけた犬(トラという)が生水を吐いていたという。園長さんによると、今日は朝から忙しくて食事がやれてない由。
 先輩からチョコレートをもらって食べていたけど、大丈夫かな?
 また春になったら来ようと思う。



テンダイウヤク(烏薬)
:根を用いる。

テンダイウヤクの葉脈:ニッケイやクスノキと似ている。